電子レンジでチーン

今どきの電子レンジはチンといわない

億千と幾千

ものすごく不快。
その理由が分かっても、分からなくても、対処の仕方がわからない。
イライラというか、悲しいというか、ムカつくというか、言葉にはっきりと言い表すことが出来ないんだけど、ポジティブな感情がカケラすらない。

誤魔化しつつ過ごすけど、所詮はただ誤魔化してるだけで処理出来てないから当然綻んでくる。むなしい。


頭が常にいっぱいいっぱいの状態なので、行動や動作の効率が非常に悪い。
だから疲れるし、余計に落ち込みが酷くなる。

なんでこんなにも闇をさまよっているんだろうか!
いい加減疲れたし、良い状態になりたいとは言わないから、可もなく不可もなくフラットな状態になりたいな。
そのためにはどうすればいいんだろうか。
人間って、そんなに早く切り替え出来ないし、変わることなんて出来ないのかなぁ。


子供の頃はこんな大人になるなんて思わなかった。

文句。

他人が握ったおにぎりは食べたくない。お祭りで出ている屋台の食べ物も食べたくない。
それと似たようなもので、よその家の家庭菜園の野菜が食べたくない。

おすそ分けは気持ちだけ貰いたい。毎回同じものばかりゆえに消費するのが大変なのと、量が多い。
趣味でやっているようなものより、商品として育てているひとの食べ物の方が、気持ち的には安心感みたいなのがある。


暑さでやられてしなびたゼロ円のサニーレタスより、コンビニで袋に入った100円のレタスのほうがいい。
たとえば家族が多い場合なんかは量があったほうがいいのかもしれないけど、ごくごくフツーの核家族にこんもりしたサニーレタスは、荷が重い。


会話するのがとても面倒くさい。
でも会話しないと行けない状況が多々あって、切羽詰まっている精神状態だからか、相手が言う冗談にものすごくイライラする。大概そういうときせっかちになっているので、話の要点が見えてこないと、頼むからさわりだけ言え!と心の中で発狂。

いろんな意味で心に余裕が無い。ギチギチに、ガチガチにかたまっている毎日をどうにか越えるだけ。
たまに人生楽しそうな人いるけど、ああいう人は何を考えているんだろうか?その人にもその人なりの悩みや葛藤なんかはあると思うけど、毎日ニコニコ笑顔でいられる人の余裕を少しだけ分けてほしい。

ビタミンとミネラルが必要

人が食事をしている時の音が気になる。
クチャクチャ音を立てて食べるのが嫌なのは誰もそうだけど、硬いものやスナック菓子を食べてるときのバリバリという音、麺類や汁物をすする音。
フォークとお皿がぶつかる音、皿を重ねるガチャガチャした音。
口を閉じて食べていても、食材そのものの音がすごく気になって、イライラしてくる。

人と食事をするのがそもそもとして苦手なのもあるし、最近は笑えてくるくらい小さなことで眉間にシワを寄せている毎日。
たとえば瓶詰めの蓋が開かないだけで発狂するくらいブチ切れている。


うまく自分をコントロール出来ないので、人との距離感が分からない。そのストレスや、日々暮らしている中で発生する苛立ちであるとか、そういったものが蓄積される。
発散法は食事。
子供の頃は、父親が太った人が嫌いで馬鹿にしていたこともあり、自分の好きなものを好きなタイミングで食べることが出来なかった。それは大人になった今もそうで、間食をしているところを人に見られるのが怖い。
正直自分は痩せている訳では無い。だから余計に怖いのだと思う。

日々そんな感じだけれど、コンビニやスーパーで少し多めの食料を買い込み、ネット通販でもお菓子やカップ麺を買い、1人でかくれてこっそりモソモソと食べる。

非常に醜い姿だと思う。
ジャンキーなもので満たされた胃袋と、良質とは言えない脂が口の中から食道までコーティングされて、充足感はあれどそれと同時に虚しさが残る。

無茶食いすることでしかストレスを発散出来なくて、こんな大人になって、自分の人生はもちろん存在までも浅く感じる。

存在意義をずっと求めていたけれど、自分の価値や意義は思っているほどないのかもしれない。
開き直れば楽になるかと言えば実際そうではなくて、やはり達観しきれていない部分があるのかただ悲しくなるだけだった。

それでも立ち止まってはいけないし、立ち止まってる時間もない。
明日になれば子供のご飯をつくり旦那の機嫌を損ねないよう、精神力を摩耗させる不健全な生活が待っている。


生きていて楽しいとか楽しくないとか、そんなのはもちろん楽しいわけがない。
しかし生きている意味がなければいなくなる理由もないのかもしれない。
立ち止まっていなくなる選択をする暇もないのだ。

優しい言葉に聞こえる言葉

まずひとつ、『君の好きなようにしたらいいよ』。そして次に『あなたのためを思って』。


『君の好きなようにしたらいい』
っていうのは、一見自由にさせてくれる言葉に聞こえるけど、耳障りだけがよくて無責任で冷たいとおもう。すべて丸投げの。
一緒に考えることを放棄している。一緒に考えなくてはならない事柄なのに。

そんで、なにかあったら、とばっちりが全部こっちにくる。まぁ、決断したのは自分だからとばっちりというには語弊があるのかもしれないけど、理不尽に追い詰められての結果だから、納得していないのに被害を受けてしまうというね。



『あなたのためを思って』
よく毒親が使ってるイメージ。自分の母はこのフレーズが大っ嫌いと言っていたし、数少ない交友関係のある人たちの中でもこんなことを言う人はいなかったけど、これも勝手だよなぁ。

いや、別に思ってもらわなくていいんで、、って、とっさに身構えてしまうし、それこそお節介。小さな親切大きなお世話ってやつ。


しかしこの言葉を使わなくとも
『やってやった感』を滲ませながらこちらに近づいて、そいつの想像と違う言動をしたら意味不明なタイミングでキレられることは、よくある。
恩着せがましいの、って、ほんとやだ。

優しい言葉

『優しい言葉をかけてほしい』
このフレーズには、都合よく自分を甘やかしてほしいと捉えるか、それほど追い詰められているんだと捉えるか、恐らくどちらかなんだろう。


へっ、うるせー
我が儘言ってんじゃねぇ


なんて、それでおしまいにするんじゃなくて、どうしてそう思っているのか、なにかあったのか、と、掘り下げてくれるのか出来る人のほうが、世の中的には好かれるんだろう。

ほんとうに、構ってほしいだけの自分アピールの人もいるだろうし、ガチで日頃自責の念にかられつつ、産まれてきてごめんなさいなんて思っている人もいる。



自分がこう思うから、それが正義。
それ以外の意見は邪道、一般常識からかけ離れてる。

これが自己中心というのか。

人は人は、自分は自分。自分と全く一緒の人はいないから、すべて分かり合えなくて正解、と思っているのだけど、これはあまりにも冷たいんだろうか。


あぁ、この人は自分とは違う考えだ。と思って、そういう考え方もあるのか、と改めて知るのか、こいつとは分かり合えそうにないな。と突き放すのか、それこそ人によって違うけど、相手の言動を自分のなかである程度巻き戻すことが出来て、なぜこの人こんなにも〇〇なんだろう?って考えることが出来ると、みんな仲良くできそうなもんだけどなぁ。

人間関係には想像力がとても必要だ。
想像しすぎて、勘ぐりすぎるのもよくないから、程度というものがあるけど。

まぁ、これはある特定の人に向けて感じたこと。

不快

言い争いをした次の日に普通に接してくる人がいるけど、あれはなんだろう?
たとえば喧嘩なんかをしたあと、一人になって、時間が経って、自分の言動を省みたり相手の言っていたことを思い出して、冷却期間というか、その場ですこし立ち止まる一定の時間は必要だと思うんだけどな。

なんかこう、やいやい言われて自分の言い分を言うと「言い訳するな」と一蹴。黙っているとそれに対して文句を言う。すなわち、ごめんねミャハというスルースキルが求められるんだろうなぁ。

最近言われたことを理解するのに時間がかかって、相手の機嫌を損ねないような最善の返答はなにか、、、と、会話の一連の流れがとても大変だと思う。
ほんと、ここ何年かで一気に自分の考えていることが全くわからなくなり、これからの人生と今までの人生に悲観することを越え、諦め?のような。

だから何気ない会話一つにしても、とてつもなく時間がかかる。


高飛車だの頑固だの、わがままだの…
カチムカより、はぁ、そうですか、ってなる。
とてつもなく他人事。自分のことだけど、自分が自分じゃないような気がするので、他人事。



あさ、もうずっと寝起きに手が痺れる現象に悩まされ、今日も1日始まってしまったんだな、と感じる

自分に正直に生きるより、極力他人に合わせた方が楽だし正直にいる方法もわからないけど、あらゆることが追いつかなくなってきた。
時間も、考えも、気持ちも、全部がバラバラになって、私を作り出すあらゆるものも無重力状態のなかプカプカ浮かんで、もう手の届かないところにある。

頑張ればまた取り戻せるのかもしれないけど、しばらくは空っぽな自分のままなんだろうな。
いっときかもしれないし、一生かもしれない。

ももう今更希望なんてもてねーーーー